2011年11月4日金曜日

レオナール・フジタ展

箱根のポーラ美術館でレオナール・フジタ展を見ました。
ずっと気になっていた作家です。

日本⇒フランス⇒日本⇒フランス
と住まいを変え、5回に渡る結婚、戦争、日本での冷遇、
フランスへの帰化など、波乱万丈の人生。
「乳白色の肌」で有名になるも、その白さの秘密は
今年2011年になってやっと判明。
絵の具にシッカロールを混ぜて乳白色を出していたのです。
本当に不思議な乳白色でした。
そして繊細な線。
「小さな職人達」はフランスの職業と子供のかわいらしさを
上手く使った楽しい連作。
子供と動物(特にネコ)を描いた絵も多く、あたたかい雰囲気
の作品も沢山ありました。

どの絵もいきいきとしてひき込まれるよう。
あふれ出る個性の表現、こだわり、技術の追求。
オリジナリティと情熱が心を揺さぶる芸術です。

帰りに売店で「藤田嗣治 手しごとの家」(林洋子著・集英社新書)
を購入。
この本では画家としての創作活動以外の日常の生活について書かれています。
洋服をはじめカーテンなどの裁縫までしてインテリアにこだわったこと、食器や小物までも手作りしていたこと。
また人に送った絵手紙が写真つきで  解説されていて、読んだらますますフジタの世界に魅かれます。
フジタが身の回りのもの全てをプロデュースしながら生活に愛情をもって毎日を過ごしていたことがよく分かり、こんなに濃い人生を送ることができたらと、憧れます。

2011年11月2日水曜日

アンリ・バルダのレッスン 移調

私がフランスへ留学するきっかけとなったアンリ・バルダ先生。
彼のレッスンに行って誰もが驚くのがどんな曲でも
移調させられることでしょう。
毎日同じ曲を練習していると慣れで弾いてしまうので
新鮮な耳で聴くために移調をするのです。
特にピアノを専門にしていると絶対音感がある場合が多く
音程をあまり意識しないで手や楽譜の記憶のみで
弾いてしまう傾向があります。

移調すると原調の色彩感覚が失われることはあるかもしれませんが
そのデメリットを超えて新しい発見が沢山あります。
まずいつも当たり前に弾いていたのに移調すると次の音が分からなくなる。
これは音程を意識せずに弾いているからですね。
バルダの移調方法は楽譜を見ないで耳で音を探しながら行います。
なので分からなかった次の音が見つかると音の前後の関係性に
ついて考え、その結果よく頭に刻み込まれるのです。
えー、こんなに遠くに移調していたのか、など。
作曲家はよくこんな音の配列を考えたものだなぁと感嘆の連続です。

クラシックのものだとそれでも慣れてくると割とすぐ移調できるように
なるのですが、ロマン派以降の作品だと大変。
私が移調して大変だったのはラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」でした。
最初の和音からして分からない・・・。
結局時々楽譜を見てやっと全てを移調することが出来ました。
でも移調した後は原調で弾いた時とても新鮮な耳で聴くことが出来て
その後の演奏に役立ったと思います。

時間のかかる練習なのでつい敬遠しがちですが
今弾いているラヴェルのソナチネでそろそろやってみようかな。

2011年11月1日火曜日

サンモール音楽院での入学試験

フランスで最初に入学した学校、サンモール音楽院。
ピアノ科の入学試験では
ドビュッシー:エチュード2曲
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
などを用意しました。
(他の曲も用意したはずですが忘れました・・・)

この試験は月曜日の朝イチだったのですが、フランスでは日曜日は
静かに過ごすことが常識で楽器演奏も控えなければならないので
土曜日に練習したきりで本番。
それまで前日に弾かないで本番なんて経験はなくて
怖かったですが仕方がありません。

試験ではちょっと弾いただけで「Merci!(ありがとう)」と
言われて終わってしまったのでダメだったのかな、と
落ち込んだのですが、結果は合格でした。

アンヌ=マリー・ド・ラヴィレオンという女性の先生の
クラスにはいったのですが、この先生が私の合格が決まったとたん
それまでヴヴォワイエ(かしこまった間柄での話し方)から
チュトワイエ(親しい間柄の話し方)での会話に変わったのが印象的でした。
「あなたは私の弟子になったのですよ」ということですね。
この現象はとてもフランスらしいことなのだろうなぁと思いました。

とにかくこれで1年間は学生滞在許可証がもらえることになり
ホッとしました。

個人のお宅でのコンサート

久々のコンサートでした。 ご自宅にブリュートナーを置かれて時々コンサートを 開かれている方にお声をかけていただき出演しました。 60年ほど前に製造されたブリュートナーはよく響く懐かしい音がします。 特にドビュッシーやフォーレにピッタリの音色。 黒塗りされていない木目のピアノからは...